「言語は一つ」という考え方
英語はほとんど分からない、小学校で学校にALTの先生がきていただけの中学一年生が入会したとします。
もしその生徒が国語ができそうだと判断したら、以下の教材を使うという考えはどうでしょうか。
Ralph Waldo Emerson once remarked that “the English language is the sea which receives tributaries from every region under heaven,” and that is why this book The Story of English , has been researched not only in the United Kingdom and North America, but in Australia, the Caribbean, India, Southeast Asia and modern Africa.
これはかつてマクミランランゲージ社から出ていた大学生向けのテキストです。主な単語にはカナがふってあり、意味が下に書いてあります。
それでもこんな英語が中1でほとんど英語がわからない生徒に出来るわけがない、と思われるでしょう。でも出来るのです。
何度も、何度も、ある場合には10回位、講師と一緒に音読し、英語として音読できるようになれば簡単に意味を取ります。
音なしで内容を尋ねたら、多分単語の下の日本語をただつなげて意味をいうでしょう。
例えば「ラルフ・ウオールド・エマソンはかつて述べた、英語の言語は海で、受ける支流はどの地域の天の下にある‥‥。」
音読を繰り返した後の訳は「ラルフ・ウオールド・エマソンはかつて英語の言語は天の下のどの地域からも支流を受ける海であると述べた。」という本当に英語に沿っていて、しかも意味が通る訳を言います。
これはウザワの教室では普通のことです。生徒が国語力で理解している範囲なら、英語の音を入れることによって、内容を理解させることができます。
「言語は一つ」と考えるとこういう指導が当たり前になります。
多分世界中の言語は世界中の人間が同じホモサピエンスであるように、元は同じ一つの言語だったのではないか、と私は思っています。
各言語の差は人種の差、肌や目の色の違い、体格の違いのように、まずは「言語音」であり、語順の違いなどに過ぎません。
この考え方に立つと、英語教育の方法は今までのものとは全然違ってきます。
国語力と同じレベルから英語の勉強を始めることができるので、従来の英語習得に比べて、その効率のよさ、習得の深さは表現が難しいほどです。